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== 歴史 ==
 
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[[東京ディズニーリゾート]]の候補地が[[千葉県]][[浦安市]]舞浜に決定し、開園に向けた計画を行っていた。しかし、計画地は都心や最寄り駅から比較的遠く、開園後の来園者数が喫緊の課題となっていた。その結果親会社である[[オリエンタルランド]]は、ここから多くの人が利用する[[東京駅]]を結ぶ鉄道路線を建設することを決定した。当初は[[東京メトロ東西線]][[浦安駅]]を結ぶ路線を計画したが、浦安駅周辺には建設できるほどの土地がなく、また乗換を必要するなど利便性に問題が生じることから見送られた。当時の計画ルートは現在の舞浜駅から江戸川を渡った直後にトンネルに入り、現在の葛西臨海公園駅辺りからカーブし、夢の島や東京メトロ東西線車庫、門前仲町、隅田川、八重洲通りの地下を通って東京駅を通る計画であった。また計画駅は東京ディズニーリゾート、葛西臨海公園、門前仲町、東京であった。なお、オリエンタルランドの筆頭株主である[[京成電鉄]]も同じ計画をたてていたが、需要の問題から見送られた。この計画に[[日本国有鉄道|国鉄]]が目を付け、この計画路線を私たちの計画に使用したいと提案した。国鉄側には汐留 - 月島 - 晴海 - 越中島間を結ぶ月島線構想に代わる貨物路線や海浜ニュータウン(検見川浜駅・稲毛海岸駅付近)周辺から東京都心方面へ通勤・通学する住民のために京葉貨物線を利用して、営団地下鉄(当時)有楽町線へ直通運転させる路線を計画していた。当時千葉方面から東京を結ぶ路線は総武線、京成電鉄、営団地下鉄(当時)東西線であったが、ラッシュ時における乗車率が200%超であったため混雑緩和が課題となっていた。オリエンタルランド社は国鉄側の要望に同意した。
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[[東京ディズニーリゾート]]の候補地が[[千葉県]][[浦安市]]舞浜に決定し、開園に向けた計画を行っていた。しかし、計画地は都心や最寄り駅から比較的遠く、開園後の来園者数が喫緊の課題となっていた。その結果親会社である[[オリエンタルランド]]は、ここから多くの人が利用する[[東京駅]]を結ぶ鉄道路線を建設することを決定した。当初は[[東京メトロ東西線]][[浦安駅]]を結ぶ路線を計画したが、浦安駅周辺には建設できるほどの土地がなく、また乗換を必要するなど利便性に問題が生じることから見送られた。当時の計画ルートは現在の舞浜駅から江戸川を渡った直後にトンネルに入り、現在の葛西臨海公園駅辺りからカーブし、夢の島や東京メトロ東西線車庫、門前仲町、隅田川、八重洲通りの地下を通って東京駅を通る計画であった。また計画駅は東京ディズニーリゾート、葛西臨海公園、門前仲町、東京であった。なお、オリエンタルランドの筆頭株主である[[京成電鉄]]も同じ計画をたてていたが、需要の問題から見送られた。この計画に[[日本国有鉄道|国鉄]]が目を付け、この計画路線を私たちの計画に使用したいと提案した。国鉄側には汐留 - 月島 - 晴海 - 越中島間を結ぶ月島線構想に代わる貨物路線や海浜ニュータウン(検見川浜駅・稲毛海岸駅付近)周辺から東京都心方面へ通勤・通学する住民のために京葉貨物線を利用して、営団地下鉄(当時)有楽町線へ直通運転させる路線を計画していた。当時千葉方面から東京を結ぶ路線は総武線、京成電鉄、営団地下鉄(当時)東西線であったが、ラッシュ時における乗車率が200%超であったため混雑緩和が課題となっていた。オリエンタルランド社は国鉄側の要望に同意した。この取り決めを聞いたディズニーの主である[[ウォルト・ディズニー・カンパニー]]は国鉄側に対し、条件をつけた。それは以下の通りである。
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* 宣伝物を使用する際はわが社の許可承認を得ること。
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* 宣伝物の使用範囲は最寄駅とその路線に限る。
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* 車両及び駅名にディズニー由来の使用はわが社の公式方針に違反する恐れがあるため控えること(万が一使用する際は許可承認を得ること)。
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* 貴社の駅の広告物はわが社のみとする。
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この条件に国鉄側は同意をしこのままいくと思われたが、国鉄が崩壊しJR東日本となった1987年、突然JR東日本がこの条件を破棄すると通告した。その背景には、JR東日本はディズニー由来のものを使用し、京葉線の集客数を増やし、黒字化するために行われたためと思われる。これに[[ウォルト・ディズニー・カンパニー]]は激怒し、「破棄するなら貴社の路線をわが社に譲渡せよ。さもなければ著作権法違反として裁判所に提訴する」と言論した。これにJR東日本は提訴費用や敗訴した時の賠償金を支払う余裕がなく、また総武線のパイパス路線化するために行われた事業であるだけに手放すわけにもいなかったのでしたなく再同意し、この問題は終結した。
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路線では1986年に千葉港(現、千葉みなと)駅~西船橋駅間が開業し旅客営業を開始。1988年には南船橋~新木場間、西船橋~市川塩浜間が開業し武蔵野線からの乗り入れを開始した。そして1990年には新木場~東京間が開業し全通。快速運転も開始した。
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車両では開業当初は[[国鉄103系電車|103系]]を使用していたが、1990年の全通時に[[国鉄205系電車|205系]]を導入し、快速列車に使用されるようになった。
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1991年[[成田エクスプレス]]運転開始に伴う京葉線経由に変更された特急さざなみ・わかしお号が走るようになった。
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しかし、2001年に過ぎたころからある異変が発生する。それは[[東京ディズニーリゾート]]の立地自治体である[[浦安市]]が最寄駅の[[舞浜駅]]を[[東京ディズニーランド駅]]に改名せよという運動がたびたび発生していた。また[[浦安市]]はディズニーのグッズを[[ウォルト・ディズニー・カンパニー]]の許可なしに公然と市役所の売り場で売られていたり、PR活動にも勝手に使用したりしていた。これに[[オリエンタルランド]]は使用取りやめを求めたものの、それでもやめなかった。この状況を聞いた[[ウォルト・ディズニー・カンパニー]]は事情調査した結果、この活動にJR東日本も関わっていることが判明、また東京駅にあるKEIYO STREETにもディズニーグッズを販売する店が存在していたことも判明した。当初ウォルト・ディズニー・カンパニーの条件通りに従っていたJR東日本はこの頃無視するようになり、さらにディズニーの広告物を京葉線だけでなく他の路線にも無許可で使用していた。この事態を重く見た[[ウォルト・ディズニー・カンパニー]]は日本政府に報告した。政府は国土交通省を通じ、JR東日本に対し使用停止するよう求めたものの、それでもJR東日本は無視。この状況に政府は[[ウォルト・ディズニー・カンパニー]]と協議し、京葉線を[[ウォルト・ディズニー・カンパニー]]に譲渡することを決定した。この報告はJR東日本に通告した。JR東日本や沿線自治体は反対を表明したが、政府は断行した。一方[[ウォルト・ディズニー・カンパニー]]は、以下の通りに決定した。
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* 鉄道事業については[[舞浜リゾートライン]]に一任する。
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* 路線名を'''ディズニーシーサイドライン'''とする。
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* 事業区間は東京~蘇我、西船橋~市川塩浜間とし、南船橋~西船橋間は[[武蔵野線|JRの路線]]に所属させる。
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* JR東日本が使用している[[京葉車両センター]]を車両基地とし、名前を[[幕張シーサイド工場]]と改名。
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* 車両は譲渡後自社車両(8両編成)で運行。JR車両については転売。
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* 運行については[[武蔵野線]]との乗り入れは引き続き行うが、内房線、外房線及び特急さざなみ・わかしお号の乗り入れは廃止、りんかい線との乗り入れを開始する。
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* 乗り入れ車両について、りんかい線及び東京~武蔵野線方面は自社車両のみ行い、海浜幕張~武蔵野線方面はJR車両のみ行う。
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* 舞浜駅を1面2線から2面4線化する。
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* この措置を2010年7月1日から開始する。
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そして2010年7月1日に京葉線は民間路線化され、ディズニーシーサイドラインに改名された。

2014年8月11日 (月) 13:51時点における版

ディズニーシーサイドライン

ディズニーシーサイドラインとは、東京都千代田区東京駅から千葉県千葉市中央区蘇我駅を結ぶ、舞浜リゾートラインが経営する鉄道路線である。このほかに千葉県市川市市川塩浜駅から西船橋駅を結ぶ支線を持つ。

支線は運転系統上武蔵野線直通に使われている。

歴史

東京ディズニーリゾートの候補地が千葉県浦安市舞浜に決定し、開園に向けた計画を行っていた。しかし、計画地は都心や最寄り駅から比較的遠く、開園後の来園者数が喫緊の課題となっていた。その結果親会社であるオリエンタルランドは、ここから多くの人が利用する東京駅を結ぶ鉄道路線を建設することを決定した。当初は東京メトロ東西線浦安駅を結ぶ路線を計画したが、浦安駅周辺には建設できるほどの土地がなく、また乗換を必要するなど利便性に問題が生じることから見送られた。当時の計画ルートは現在の舞浜駅から江戸川を渡った直後にトンネルに入り、現在の葛西臨海公園駅辺りからカーブし、夢の島や東京メトロ東西線車庫、門前仲町、隅田川、八重洲通りの地下を通って東京駅を通る計画であった。また計画駅は東京ディズニーリゾート、葛西臨海公園、門前仲町、東京であった。なお、オリエンタルランドの筆頭株主である京成電鉄も同じ計画をたてていたが、需要の問題から見送られた。この計画に国鉄が目を付け、この計画路線を私たちの計画に使用したいと提案した。国鉄側には汐留 - 月島 - 晴海 - 越中島間を結ぶ月島線構想に代わる貨物路線や海浜ニュータウン(検見川浜駅・稲毛海岸駅付近)周辺から東京都心方面へ通勤・通学する住民のために京葉貨物線を利用して、営団地下鉄(当時)有楽町線へ直通運転させる路線を計画していた。当時千葉方面から東京を結ぶ路線は総武線、京成電鉄、営団地下鉄(当時)東西線であったが、ラッシュ時における乗車率が200%超であったため混雑緩和が課題となっていた。オリエンタルランド社は国鉄側の要望に同意した。この取り決めを聞いたディズニーの主であるウォルト・ディズニー・カンパニーは国鉄側に対し、条件をつけた。それは以下の通りである。

  • 宣伝物を使用する際はわが社の許可承認を得ること。
  • 宣伝物の使用範囲は最寄駅とその路線に限る。
  • 車両及び駅名にディズニー由来の使用はわが社の公式方針に違反する恐れがあるため控えること(万が一使用する際は許可承認を得ること)。
  • 貴社の駅の広告物はわが社のみとする。

この条件に国鉄側は同意をしこのままいくと思われたが、国鉄が崩壊しJR東日本となった1987年、突然JR東日本がこの条件を破棄すると通告した。その背景には、JR東日本はディズニー由来のものを使用し、京葉線の集客数を増やし、黒字化するために行われたためと思われる。これにウォルト・ディズニー・カンパニーは激怒し、「破棄するなら貴社の路線をわが社に譲渡せよ。さもなければ著作権法違反として裁判所に提訴する」と言論した。これにJR東日本は提訴費用や敗訴した時の賠償金を支払う余裕がなく、また総武線のパイパス路線化するために行われた事業であるだけに手放すわけにもいなかったのでしたなく再同意し、この問題は終結した。

路線では1986年に千葉港(現、千葉みなと)駅~西船橋駅間が開業し旅客営業を開始。1988年には南船橋~新木場間、西船橋~市川塩浜間が開業し武蔵野線からの乗り入れを開始した。そして1990年には新木場~東京間が開業し全通。快速運転も開始した。

車両では開業当初は103系を使用していたが、1990年の全通時に205系を導入し、快速列車に使用されるようになった。 1991年成田エクスプレス運転開始に伴う京葉線経由に変更された特急さざなみ・わかしお号が走るようになった。

しかし、2001年に過ぎたころからある異変が発生する。それは東京ディズニーリゾートの立地自治体である浦安市が最寄駅の舞浜駅東京ディズニーランド駅に改名せよという運動がたびたび発生していた。また浦安市はディズニーのグッズをウォルト・ディズニー・カンパニーの許可なしに公然と市役所の売り場で売られていたり、PR活動にも勝手に使用したりしていた。これにオリエンタルランドは使用取りやめを求めたものの、それでもやめなかった。この状況を聞いたウォルト・ディズニー・カンパニーは事情調査した結果、この活動にJR東日本も関わっていることが判明、また東京駅にあるKEIYO STREETにもディズニーグッズを販売する店が存在していたことも判明した。当初ウォルト・ディズニー・カンパニーの条件通りに従っていたJR東日本はこの頃無視するようになり、さらにディズニーの広告物を京葉線だけでなく他の路線にも無許可で使用していた。この事態を重く見たウォルト・ディズニー・カンパニーは日本政府に報告した。政府は国土交通省を通じ、JR東日本に対し使用停止するよう求めたものの、それでもJR東日本は無視。この状況に政府はウォルト・ディズニー・カンパニーと協議し、京葉線をウォルト・ディズニー・カンパニーに譲渡することを決定した。この報告はJR東日本に通告した。JR東日本や沿線自治体は反対を表明したが、政府は断行した。一方ウォルト・ディズニー・カンパニーは、以下の通りに決定した。

  • 鉄道事業については舞浜リゾートラインに一任する。
  • 路線名をディズニーシーサイドラインとする。
  • 事業区間は東京~蘇我、西船橋~市川塩浜間とし、南船橋~西船橋間はJRの路線に所属させる。
  • JR東日本が使用している京葉車両センターを車両基地とし、名前を幕張シーサイド工場と改名。
  • 車両は譲渡後自社車両(8両編成)で運行。JR車両については転売。
  • 運行については武蔵野線との乗り入れは引き続き行うが、内房線、外房線及び特急さざなみ・わかしお号の乗り入れは廃止、りんかい線との乗り入れを開始する。
  • 乗り入れ車両について、りんかい線及び東京~武蔵野線方面は自社車両のみ行い、海浜幕張~武蔵野線方面はJR車両のみ行う。
  • 舞浜駅を1面2線から2面4線化する。
  • この措置を2010年7月1日から開始する。

そして2010年7月1日に京葉線は民間路線化され、ディズニーシーサイドラインに改名された。